「きもの十日町 50年の歩み」より 越後布時代 馬場上遺跡

 十日町織物の源流をさぐる上で最も貴重な発見となったのが、昭和四十九年に発掘された「馬場上遺跡」である。

 この発掘によって、今から千五百年前の古墳中期に、すでにここでは米作りとハタ織りが営まれていたことが明らかになった。

 十日町市が西小学校を建設するために、馬場上と呼ばれていた農地を整地したところが多量の土器が出土したので、二ヵ年にわたる発掘調査が行なわれた。

 その結果、五十棟の竪穴住居跡等が確認され、五世紀中頃の古墳時代中期から、奈良・平安時代の三時期にわたって断続的に集落が営まれていたことが判明した。

 出土品のなかに、米を蒸すための蒸籠の役割をした甑形土器や、鉄製の鋤と鎌の断片が幾つか出土して米作りの農耕生活をしていたことが立証された。その一方で、戦後百年前と推定される住居跡のなかからハタ織り道具のひとつで糸にヨリをかける通称「ツム」と呼ばれる紡錘車が発見された。

 滑石製品と土製品の三個の紡錘車が、ハタ織りが行なわれていたことを物語っているだけでなく、同時代と推定される土師器のお椀型土器の胴部から織布の圧痕も見つかっている。

 おそらく土器を製作中のやわらかい器面に、偶然誰かの衣服が押し付けられて布目模様が器面についたまま焼き上げられたものであろう。

 馬場上の人々が着ていた衣服は、編物でなく織物であったことがネガティブな形ではあるが証明されたわけである。

 千五百年の昔、ここで米作りとハタ織りが行なわれていたことが立証されたi意義は大きい。

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