織物生産工程 十日町市博物館常設展示解説書より(2) 越後縮
越後縮は、麻織物の一種で、緯糸に強い撚りをかけて織りあげ、独特の縮シボ(シワ)をつけた夏衣用の織物です。原料は、イラクサ科の「からむし」という植物の繊維からとった、青苧という繊維で、それを細かく裂いて糸にし、いざり機を使って織りあげたものです。
この越後縮は、それまでの越後布に改良を加えたものです。その開発は、江戸時代初めころ(寛文年間ー1660年代頃)に小千谷にやってきた明石次郎(堀次郎将俊)によるものだといわれています。昔の縮生産の様子は、「績麻録」や「越能山都登」、「北越雪譜」などにみられます。
越後縮は、その後次第に品質を高め、武士や貴族などにも愛用されるようになり、天明年間(1780年頃)には年間20万反もの生産があったといわれています。その生産地は主に魚沼地方とその周辺部でした。そのため、十日町、小千谷、堀之内には縮市がたち、京都、大阪、江戸から多くの商人が入り込んで取引が行われました。こうして越後縮は越後の名産として、江戸時代の終わりころまで盛んに生産されました。
越後縮は、この地方の農家の副業としておこなわれ、雪の中で半年も暮らす女性たちが多くの時間と労力をかけて織りあげたものです。亀井協従という当時の人が書いた「績麻録」という本の中には、1反を作るのに、苧績み経糸約70日、緯糸約40日、織り約15日、合計125日かかるとあります。すると1人1冬に1反ぐらいしか作れないことになります。それでも、手違いでもあればだめになってしまいます。そこで、女性たちは、織りあげた越後縮を神社に奉納して技術の上達を祈りました。越後縮には、そうした雪国の女性たちの苦労がかくされているのです。
ネオ昭和
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