十日町市情報館発行「縮問屋加賀屋の世界」より 越後縮とはなにか

 越後縮は、イラクサ科の「からむし」と呼ばれる多年生の植物の靭皮繊維(外皮の部分からとった繊維)で織られます。

 私たちの住む十日町市周辺では、山野にも自生し、よく見受けられる植物で、「苧(お)」と呼びならわしています。7月土用過ぎに刈り取り、水に漬けてから皮を剥いで表皮をかきとり、取り出した白い繊維を陰干しして乾燥させてものが「青苧(あおそ)」です。

 中世の越後は青苧の産地として知られ、青苧の独占的販売権を持つ「青苧座」が組織されていました。集荷された「青苧」は上方に出荷され、近江晒や奈良晒の原料となりました。上杉謙信はこの青苧座の実権を掌握し、その利益は上杉氏の軍事費の一翼を担っていたといわれます。

 江戸時代になると、青苧を原料とした織物は「白布」と呼ばれ、魚沼郡全域と頸城郡などで、広く織りだされていました。寛文年間(1661-73)のこと、この白布に大きな改良が加えられました。播州明石の浪人・明石次郎が、あるいは明石から来た竹屋という者が、新しい技術を加えて、縮を織り始めたと伝えられています。

 その技法とは、従来の白布の製織技術をもとに、緯糸に強い撚りを加えて皺を作って縮布とし、清涼感をされに高めたのです。越後縮の特徴として皺のことが協調されますが、この頃の技法上の変化としては、何より忘れてならないのが、白布という後染めから、先染め(糸の段階で文様を想定して糸を染め、模様を織りだす技法)の織物に転換したということです。

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